2015/11/29

2016年1月14日ー2月14日に京都市美術館で開催される『琳派400年記念ー琳派降臨ー近世・近代・現代の「琳派」コードを巡って』に"Praise"(1987)を出品します。

 

2015/11/4

GALLERYを更新しました。

 

2015/4/8

NEWSを更新しました。

 
        これまでの制作と、「光の彫刻としての絵画」について
                                                                                               小田中康浩
 
私は1980年代の初めより本格的に絵画を制作し始めたが、始めのころに私が強く感じていたのは、遠近法に対する懐疑、さらにはキャンヴァスという制度的な物体と、そこに何事かを描くことによって不可避的に生じてしまうイリュージョンに対する懐疑だった。そこで物体を構成することによって絵画的な空間を創出できないだろうか考え始めるところから制作を開始した。(1983〜85年)
 
1985年の中頃に、平面にイメージを描くことによってもう一度正面から絵画に取り組みたいと思い、キャンヴァスに油彩によるペインティングというオーソドックスな手段に「回帰」した。そして1987年頃、「絵画は光に関する芸術であり、具体的には色彩をその手段とする」との認識を得、それ以来、形象化する光とその内容に相応した形式上の問題を考えてきた。
具体的には、1)具象形態の解体—再構築と色彩の積極的使用によるイメージの重層化(1986年以降)、2)支持体パネルの解体—再接合によるイメージの異化と絵画の外的空間化(1988年以降)などを主な方法とし制作/発表してきた。
 
1990〜91年にはイタリア政府給費留学生として渡伊、ナポリを拠点に13ヶ月にわたりヨーロッパ各地に滞在、研修・制作を行った。イタリアでは各地に残された教会内部のフレスコ画やモザイク画を観て回るとともに、バロック建築やカラヴァッジオなどバロック絵画の空間に関心を持ち、研究した。
1991年にスロヴェニアに滞在中、同国のユーゴスラヴィア連邦からの分離独立と内戦の勃発に遭遇、大きな衝撃を受ける。また帰国後、続けざまに起こった国内外での様々な事件—ボスニアにおける民族浄化、阪神大震災(私も勤務先が被災)、地下鉄サリン事件などの出来事がきっかけにもなり、表現者として社会にどのように対峙すべきなのかという問い、具体的には絵画の有り方(その形式や内容)について根本的な再考を迫られることとなる。1995年以降、自らの絵画に新たな質を獲得すべく、様々なアプローチによってその問いに答えようとしてきた。
 
2006年頃、それまでの私の絵画制作法を再検討し、もう一度白紙の状態から絵画を独自にとらえ直したいという欲求が生じ、その結果として、絵画を「光の彫刻」と位置づけ、その統制的理念のもとに制作を改めて開始した。つまり、キャンヴァスを白色光のメタファーと捉え、その光の中から筆(鑿、鏝、篦のメタファーとしての)と手、指をもってある色彩の塊を彫り出す(=描き出す)。
彫る(=描く)行為によって光にある方向性と限定性を与え(そのことによって光は分光され色彩が生じる)、多次元的にそのような行為を積み重ねることによって、ある個別性を持った色彩としての光のボリュームを彫り出すということである。
そしてまた、光という言葉には上のような物理的存在としての意味と、さらにはマーラーが「Urlicht(原光)」と呼び親鸞が「不可思議光」と呼んだような形而上的な意味がある。この2つの光を往還させながら自らの身体によって光の塊を彫琢し、それをそのまま投げ出す/捧げること。私にとって絵を描くことはそのようなことに他ならない、ということがわかってきた。